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鹿児島県内各地に残る仮面文化は、今も人々に福をもたらす超越的な存在。

南北に約600キロメートルと縦に長い鹿児島県は、温帯から亜熱帯まで気候も様々。その中で、今もなお独持の祭事・郷土芸能が受け継がれています。特に各地に残る面はその数の多さと、面そのものが神格化された「信仰仮面」と呼ばれる面や、五穀豊穣を願う豊年祭、命を尊び子孫繁栄を願う面が数多く残っています。また、島々ではそれぞれに独特の特徴があり、黒潮にのって流れ着いた海洋文化と混交しながら独自の仮面文化を築いています。
県内各地に残る面は今も、人々に福をもたらす超越的な存在といえます。

今も継承される仮面神の文化について、少しここでご紹介いたします。

 

 

【トシドン】下甑島(薩摩川内市)

下甑島に伝わる伝統行事です。「トシドン」は、高い鼻と耳元まで張り裂けた口、鋭い目をした祝福神で、毎年、大晦日の夜に子どものいる家々を訪れます。良い子になるように戒め、新年の誓いを立てさせると、無事に年が迎えられるように、年餅(丸い大きな餅)を与えて去っていきます。<大晦日に出現>

【トシドン】下甑島(薩摩川内市)

【トシドン】下甑島(薩摩川内市)

 

 

【霧島九面太鼓】霧島市(霧島神宮)

その昔天照大御神(アマテラスオオミカミ)は天津日高瓊瓊杵尊(アマツヒダカニニギノミコト)が豊葦原端穂国の統治者にふさわしい神であるとお決めになりました。その途中、見張りの神から「この先に一人の異様な神が待ち伏せている」との報告がありましたので、五伴緒の中の女神である天宇受売命(アマノウズメノミコト)にその正体を問いただせさせましたところその異様な神は女神の魅惑的な姿に見とれてしまい「私は地上の神で猿田毘古神(サルタヒコノカミ)という者で、ただ今御子が天降りになると聞きましたのでご案内に参りました」と答えましたので天津日高瓊瓊杵尊は二武神と五伴緒それに地上の神猿田毘古神を加えて霧島山・高千穂の峰に天降られました。この光景を太鼓の掛け合いで表現したのがこの曲でありこの九人の神様の面と云われる天狗面が現在も霧島神宮には宝物として保存されています。

 

【霧島九面太鼓】霧島市(霧島神宮)

【霧島九面太鼓】霧島市(霧島神宮)

 

【ヨッカブイ】南さつま市(金峰町高橋 玉手神社)

異様な姿で笹竹を振り回し、「ヒョーヒョー」と奇声を発しながら周りの見物人を笹竹で叩いたり、時には子どもを抱き上げ、かますの中に押し込んだりします。それらをされると、その年は水難にあわないと伝えられています。<毎年8月22日高橋十八度踊り(ガラッパ踊り)に出現>

【ヨッカブイ】南さつま市(金峰町高橋 玉手神社)

【ヨッカブイ】南さつま市(金峰町高橋 玉手神社)

 

【トシトイドン】種子島(西之表市)

大晦日の晩に天から「首切れ馬」に乗ってホウキや鐘などで大きく叩き鳴らしながら現れます。子供たちに1年を振返ってお説教を始め、トシトイドンと約束をします。言う事を聞くという約束をしたご褒美に餅(トシトイモチ)を与え去っていき、また来年もやってきます。<大晦日に出現>※明治時代に甑島より移住した集落に伝わっています。

【トシトイドン】種子島(西之表市)

【トシトイドン】種子島(西之表市)

 

【タカメン】竹島(三島村)

鉦(かね)、太鼓の音とともに行われる八朔踊り(竹島面踊り)に現れ、島民とともに踊ります。面の高さは1m以上にもなり、村の役を払い、繁栄をもたらすと言われています。<八朔踊り(竹島面踊り)に出現>

【タカメン】竹島(三島村)

【タカメン】竹島(三島村)

 

【メンドン】硫黄島(三島村)

矢旗を背負い、神木を手に、祭りの会場で村人を追い回したり、抱きかかえたりと大暴れし、神木でたたかれると身についた悪霊が祓われ、暴れまわるほど、村の厄を祓い繁栄と収穫をもたらすとされています。<旧暦8月1、2日の両日にかけて行われる八朔踊りに出現>

 

【メンドン】硫黄島(三島村)

【メンドン】硫黄島(三島村)

 

【オニメン】黒島(三島村)

面は様々で、かっぱやひょうたんのような面もあり、固有の面を持ちません。腰にひょうたんをぶら下げ、すりこぎとしゃもじを打ち鳴らしながら隊列を組んで、子孫繁栄、五穀の実り(豊穣・生産)を祈る踊りを踊ります。<八朔踊りに出現>

 

【オニメン】黒島(三島村)

【オニメン】黒島(三島村)

 

【ボゼ】悪石島(十島村)                      

来訪神のひとつと言われ新鮮な生(太陽)の世界へ立ち戻らせる、転換の役目を果たすとともに、人々の穢れを清め、平常の生き生きとした生活に戻す役割を担っています。<毎年旧暦の7月16日に行われるボゼ祭りの前夜に出現>

 

【ボゼ】悪石島(十島村)

【ボゼ】悪石島(十島村)

 

【諸鈍シバヤ】加計呂麻島(瀬戸内町)

 諸鈍シバヤ(ショドンシバヤ)の由来は、 約800年の昔、壇ノ浦の戦いに敗れ、源氏の追っ手を逃れてきた、平資盛一行がこの諸鈍に居城を構え、地元の人たちと交流を深めたのが始まりとされています。毎年、旧暦の9月9日、 瀬戸内町諸鈍集落にある「大屯神社」で上演されています。踊り手は地元に住む男性で、「カビディラ」と呼ばれる「紙の面」をつけて踊ります。服装は、頭に陣笠用の手製の紙笠をかぶり、下は白ももひき、 上は絹の吹き流しの上衣を身につけ、ホラ貝を吹いたり太鼓と鉦を鳴らしたりしながら「ホーエラヘーヨイヤサヌサ、ヤッサガヘーヨイヤサヌサー」とかけ声勇ましく繰り返します。

 

【諸鈍シバヤ】加計呂麻島(瀬戸内町)

【諸鈍シバヤ】加計呂麻島(瀬戸内町)

 

 

【朝伊奈】与論島(与論町)       

 「与論十五夜踊り」で使われる衣装の朝伊名と呼ばれる服装です。1番組、2番組の2部構成で五穀豊穣・嶋中安穏の祈願、感謝をこめて奉納される踊り。1番組では、紙面(かみめん)、クシ笠、木製の刀、長刀、シュパ(サジという幾何学的な模様のついた木綿布を三角帽子風にしたかぶりもの。)、チブガタサア(シュロで作ったかつら。まげにカンザシをさす)などが主なものです。<旧暦8月15日に、地主(とこぬし)神社に出現>

【朝伊奈】与論島(与論町)

【朝伊奈】与論島(与論町)

 

 

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